会社経営における「テセウスの船」

社長の本音コラム

「テセウスの船」という、有名なパラドックスがあります。最近ドラマの題名にもなってましたね。
「パラドックス」とは、日本語にすると「矛盾」とか「逆説」が一番近いでしょうか。

具体的には、「テセウスの船」の部品が一つずつ新しいものに取り替えられ、最終的にはすべての部品が更新された場合、その船は依然として「テセウスの船」と呼べるのか?という問いです。
例えば、私が愛してやまない自転車の部品を全て新しいものに交換したとしたら、その自転車は果たして「私の愛車(自転車)」と呼べるでしょうか?
そして交換した部品を組み立てて作った自転車は私の自転車ではないのでしょうか?
法律的な観点から考えれば導きだせる回答もあるのでしょうが、今回考えたいのは目に見える部分ではなく、目に見えない部分についてです。
この問題では物の本質やアイデンティティがどこにあるのかをとても考えさせられます。
テセウスの船をゆい工房に当てはめて考えてみます。
ゆい工房の前身は「住まいのナガイ」という社名で、今から17年前に設立されました。しかし今現在、当時の社長(長井)は業務に携わっておりませんし、その頃から働いているスタッフは私しかおりません。
長井社長が大切にしてきた商売における考え方、お客様に対する接し方、自分の律し方などは私なりに継承しているつもりではいますが、では今のゆい工房スタッフが全員退職して新しい会社を作った場合、お客様から見たらどちらの会社が「ゆい工房」なのでしょうか?
別スタッフで作られたゆい工房と、ゆい工房スタッフで作られた別会社。
登記的にはもちろん前者がゆい工房なのでしょうが、名前だけゆい工房だとしても、きっとお客様から「なんかゆい工房らしくない」「前と全然違う」なんて言われてしまうような気がします。
世の中の変化に応じて会社は当然変わっていかなければなりませんが、創業者の想いや会社の理念など根幹に関する部分は必ず継承していかなければ、それは単なるカタチだけ似せた会社になりかわってしまいかねません
ゆい工房とは果たしてなんなのか…正解のない答えを探していくことも私の仕事の一つです。

ゆい工房社長 渡辺陽一

渡辺陽一